プロゴルファーの素顔
芹澤信雄【後編】

全3回にわたり、これまでの履歴書を紐解きながら、その人となりに迫ってみよう。

「芹澤信雄:プロゴルファーとしての多面的な活躍と影響」

 先にも書いたとおり、芹澤信雄はレギュラーツアーにおいて計5勝を挙げたが、芹澤の活躍する場はツアーだけに収まらなかった。1980年代中盤、現在は俳優・タレントの兄、芹澤名人が弟子だった関係から、芹澤がビートたけしにゴルフを教えたことで、たけしから「ゴルフの師匠」と呼ばれたのがきっかけとなった。バラエティ番組に出演したり、自らの名前を冠したゴルフ番組が始まったりしたことで、芹澤はテレビでもお馴染みの顔となっていった。爽やかなルックスと明るいキャラクターにより、それまで厳ついイメージだったプロゴルファーという存在を、より親しみのある立ち位置にした最初の人と言っていいかもしれない。
 「ほかの人にも、そういうふうに言われたことがあります。ゴルフ界への貢献度が高いと言っていただけるのだとしたら、大変ありがたいですね。ファンとプロの距離を縮めたいとかいった気持ちがあって始めたわけでは、まったくなかったんですけどね。ジャンボさんや青木さんに比べたら、キャラクター的にも弱々しい感じですし、『えっ? この人、プロゴルファーなの?』という雰囲気で出ていたのが、逆にみなさんに親近感を感じてもらって、愛されたのかなと思いますよね。(ビート)たけしさんや、一緒に番組を持たせてもらってた中村雅俊さんが、とても好感度の高い方だったことも、本当にラッキーだったなと、いつも思います」
 メディアへの露出は、自身のゴルフへの良い発奮材料ともなった。
 「先輩プロからは、『お前、真剣にゴルフをやれよ』と言われたこともあります。でも、逆に番組を持つことによって、『成績が落ちたら何を言われるかわからないから、がんばろう』という気持ちになった部分も、正直ありました。だから、それは僕にとって、刺激という意味でうまくいったなという感じはあります」
 ゴルフ界への貢献といえばもう1つ、芹澤はゴルフウェアにも大きな変化をもたらしている。とくに1989年から、立ち上がったばかりのパーリーゲイツで広告塔を務めたことが大きい。それまでのものとは異なるシルエットやデザイン、着こなしが反響を呼び、芹澤にはいつしか、「スタイリッシュ」という形容詞もつくようになった。現代のファッショナブルなゴルフウェアにも続く、まさに源流をつくった1人として数えても差し支えない。
 「そんなに上げてもらっちゃって照れくさくなっちゃいますが、これに関しても、僕のなかではゴルフウェアを変えたいみたいな思いはまったくなくて。でも実際、綿パンとかを履いたのは、僕がいちばん最初なんですよね。みんな、シワがつくから嫌だと言って、履かなかったみたいです。また、タックの入ったパンツも僕が最初でした。それまでは、腰のあたりがピッタリとしていて、裾がフレアになっているものばかりだったなか、パーリーゲイツの前に契約してもらっていたブランドから、ハイウェストでタック入りのお尻回りがゆったりした綿パンができたということで、『これを履いてくれ』と。周りからはいろいろ言われましたが、翌年からは多くのメーカーのパンツがタック入りになって、みんな履いてましたよ。そんな僕を見て声をかけてくれたのが、ブランドがスタートする前のパーリーゲイツでした。ちょうど1987年に初優勝もしていましたから、誰かと契約しようとなったときに僕の名前が上がったそうなんです。それで、以前の契約メーカーには、『申し訳ありません』と謝って、1989年からずっと着させてもらっています。こう考えると、本当に僕はラッキーで生きていると思います。人との出会いをうまく使わせていただいているじゃないですけど、そういう出会いが何度もやってくるので、自分でもびっくりしています」
 芹澤は自らのプレーの傍ら、藤田寛之プロや宮本勝昌プロらをトッププレーヤーの地位に引き上げることにも貢献。2010年からはシニアツアーに主戦場を移し、同年の富士フイルム シニア チャンピオンシップでツアー初優勝を果たした。現在もツアーを彩る1人として参戦を続けながら、昨年からは日本プロゴルフ協会副会長としての役割も担っている。主に担当している仕事の1つが、ツアー管理、競技担当だ。
「先ごろツアー初優勝を果たした宮本(勝昌)君や、片山(晋呉)選手など、いいプレーヤーが入ってきていますし、藤田(寛之)選手や深堀(圭一郎)君、手嶋(多一)君、谷口(徹)君といったゴルフ界を引っ張ってきた選手らと切磋琢磨することで、シニアツアーはもっと盛り上がると思います。いま、レギュラーツアーでは素晴らしい選手がたくさん出てきていますが、見る人によっては、先ほど挙げたシニアツアーの選手のほうが簡単に顔と名前が一致する面もありますから(笑)、応援する人も増えてくるはずです。いろいろとアピールして、試合数が増えていくように努力していきたいですね」
 もちろん、芹澤信雄自身のゴルフをまだまだ楽しみにしている人も、たくさんいる。
「いやいや、僕はプロアマとかで盛り上げられればと思いますけどね(笑)。でも、常に刺激を求めたいので、試合に出たいという気持ちはありますし、生涯現役でいたいという気持ちもあります。あとはやっぱり、これまでもやってきていますが、後輩への指導などですね。アカデミー(TEAM SERIZAWA GOLF ACADEMY)も開校させてもらっていますから、もっと一般のお客さんにも、いままで自分が経験してきたものをうまく伝えたり、教えていけたりしたらいいのかなと」
最後もまた、トレードマークの爽やかな笑顔が印象的だった。その明るさは、今後新たに何を照らし出すことだろうか。芹澤信雄が持つ力に、期待せずにはいられない。(文中敬称略)