日本プロゴルフ協会新会長の素顔
プロゴルファー、吉村金八【後編】

日本プロゴルフ協会新会長、吉村金八の横顔に迫るロングインタビュー。最終回となる【後編】では、現在取り組んでいる協会の仕事に関して話を伺った。じつは吉村はつい最近まで、会長に就くことなど、まったく思ってもいなかった。彼を突き動かしたものは、何だったのか。全3回のなかでも今回がもっとも、吉村金八の人物像を表していると言えるかもしれない。

「みなさんのおかげ。感謝しかありません」

 思いもよらない形で、まったく縁のなかったゴルフを知り、プロゴルファーとなってからは、約40年という時間を戦いの場で費やしてきた。長い年月を振り返る吉村の口から最後に出てきたのは、「感謝」の2文字だ。
「トーナメントプレーヤーとしては、悔いが残らないといえばおかしいですけど、自分のなかでは、遅くからはじめて、よくやったなと思います。シニアも数年前までやりましたから、充分楽しみました。シードになれた、優勝もできた。こんなにうれしいことはないじゃないですか。なんだかんだいっても、優勝した試合では、いちばんうまかったということですからね。それをジャンボに言ったら、『たしかにそうだ』って(笑)。本当に、いまの僕があるのは、みなさんのおかげ。もう感謝しかありません」
 この思いが、吉村を日本プロゴルフ協会会長に就かせたいちばんの要因かもしれない。吉村のなかに、会長になりたいなどという気持ちは、1ミリもなかった。
「まったく思ったこともなかったです。でも、小さい頃から近所のお兄ちゃんたちに遊んでもらっていましたし、その後も先輩たちにかわいがっていただいて、すべてを教えてもらいましたから、自分も損得勘定なしで、若手たちに態度で示さないといけないな、というのがずっとあるんでしょうね。熊本のあとは、鹿児島を拠点に活動してきたから、若いころから先輩に言われて九州で世話役を手伝わせていただいたんですが、やっているうちに若手をなんとかしたいという気持ちになるんですね。『自分もこういうふうにやったんだから、お前たちもやれないことはない』という感じで、いろんなことを聞いてあげたり、悩みがあったらレッスンしてあげたり、試合に行く心構えを教えてあげたり。そういう、後輩たちの役に立ちたいという気持ちがあって、こうなっちゃったという感じですかね。自分がどうのこうのではなくて、恩返しといったら大げさかもしれませんが。いまも、本人自体が協会の会長になったという気持ちになっていないですから、知らないことが多くて、迷惑をかけてるんです(笑)」
 もちろん、そんな吉村を慕うプロは数多い。
「九州出身のいまのシード選手にしても、小さいころから知っている子たちばかりなんです。源ちゃん(時松隆光プロ。福岡県出身。ツアー3勝)も、小学生のときから知ってます。だからみんないまでも慕ってくるわけです。九州の若手はみんないまでも、僕のことを会長なんて呼ばないですからね。『きんぱちさん、きんぱちさん』って」

「何より、ゴルフに行けないのがつらい」

 日本プロゴルフ協会会長として胸に秘めているアイデアも、これからの人を思ってのものばかりだ。
「若いころは、試合で賞金を稼げますが、ずっとツアーに出られるわけじゃない。じゃあ、 レッスンをしようかといっても、もし体を壊したら、それもできなくなる。寂しいじゃないですか。だから、いかに個人の価値を高められるか。ゴルフだけやるなら、誰でもできます。でも、そこに何かをくっつけられれば、さらに、ゴルフ界を通じて独特な仕事をしていける、いろいろなものに対して貢献できるのではないか、と思うんです。もちろん、若いトーナメントプレーヤーの育成や、ティーチングプロについても考えています。それに加えて、会員がそういう力をつけられるようになったら、すごくいい協会になるんじゃないか、協会が土台となって、なんらかの形でちゃんとしてあげられればいいな、と。まだ、詳しくは言えないんですけどね」
 年齢の関係上、会長の任期は2年に限られている。しかし、吉村にとってそれは、言うまでもなく取るに足らない小さなことだ。
「もう、全然考えてないです。2年の間で何ができるかを考えながら、動いています。あとで大輪の花が咲いても、まったく構いません。2年のなかで、大きいことができれば、それは最高。最低でも、筋道だけはある程度つけておこうと。人をまとめるとか、思ってないんですね。自分が協会に対して何かできることを、できる範囲で残してあげたいなというだけで。
しかし、大変な役割を仰せつかりましたよ。こんなに、きついとは思わなかった(笑)。何より、ゴルフに行けないのがつらい。今年、まだ9ラウンドだけ。10ラウンド目はいつなんだろうって(笑)」(文中敬称略)