日本プロゴルフ協会新会長の素顔
プロゴルファー、吉村金八【中編】
日本プロゴルフ協会の新会長、吉村金八の人物像に迫る、全3回のインタビュー。【前編】では、インパクトの強い名前の由来や、ゴルフを始めた経緯などをご紹介したが、【中編】の今回は、プロゴルファーとして戦いに明け暮れた日々が中心となる。まずは、プロになるまでの紆余曲折から見ていこう。
漁船の上で振り回したデッキブラシ
美女木でも吉村は懸命に練習し、めきめき腕を上げた。半年後、プロテストを受ける直前までいったが、父親の死去に伴い、一時は家業を継いで漁に出ていた。しかし、頭からゴルフが消えることはなかった。「船の上でも、クラブ代わりにデッキブラシを振り回していました。揺れるなかで振るから、なかなかのトレーニングですよ(笑)。2年後、23歳になる年に、どうしてもゴルフをやりたくて、家を飛び出しました。親からは、『うちの息子はもう死んだと思うことにする。もう帰ってこなくていい』と言われました。僕も、『二度と帰ってくるか』って」
すでに結婚していた吉村は、妻の実家がある宮崎に渡り、翌1976年には、オープンしたばかりの玉名カントリークラブ(熊本・玉名市)に研修生として所属。吉村いわく、「水を得た河童」のように、朝早くから真っ暗になるまで、練習に明け暮れた。
「僕は、ゴルフを始めたのが遅いじゃないですか。だから、練習の仕方も変わっていましたね。普通の人は雨が降ると練習しませんが、僕は雨の日でも一日中、球を打っていました。だから、雨のゴルフではめちゃくちゃ強かったんですよ。パッティング練習も、あえて暗い時間にやりました。暗いからカップを見ないでしょ? 入ったら、音でわかります。ボールを目で追わず、しっかり打つことに集中できますから」
2年後、初のプロテストで見事合格し、1979年にプロゴルファーとなった。
「プロでやっていける感触はなかったです。ただ、がむしゃらにやっていただけで。賞金王になりたいとか、思ったこともありません。もう目先のことばかりで。予選落ちしたら、ゼロですからね。必死でしたし、時間が経つのも早かったです」
一日一緒にラウンドすれば、その人の性格がわかると言われるが、吉村は、誰よりもわかりやすいかもしれない。
「OBが怖くてゴルフができるか、というタイプ。OBのほうから回してくればセーフじゃん、みたいな。パッティングも、ショートしてたら一生入らない、ショートするならゴルフなんてするな、と。漁で船に乗るのは命がけでしょう? 命がけで仕事をしていると、何も怖いものがないんですよ。ゴルフで怖いものがあるか、と」
「初優勝はうれしかったけど、優勝は何回してもうれしい」
そのおかげなのか、多くの先輩プロから目をかけられた。「鈴木(規夫プロ。優勝多数。1976年全英オープン10位タイ)さんは、同じ四国の香川県出身。おもしろいやつがいると聞いていたらしく、『試合に出るようになったら、お前、一緒に行動するか』と言ってくれて。そこには、上野(忠美プロ。ツアー7勝)さんとか井上(幸一プロ。ツアー2勝)さん、沼沢(聖一プロ。テレビ中継解説者としても活躍)さん、天野(勝プロ。ツアー3勝)さんがグループでいて、よろしくお願いしますと、ついていきました。ツアーでの師匠みたいなものですね。安田(春雄)さんも、可愛がってくれました。どちらかというと、みんなからいじられていた感じですが」
徐々に頭角を現していった吉村は、プロ8年目の1985年に「九州オープン」でツアー初優勝。初のシード権ももぎ取った。
「初優勝はうれしかったですけど、優勝は何回してもうれしいものです。僕は一応、ツアーじゃないものも含めて21回勝ったんですが、どの試合もうれしいですよ。うれしさで言えば、シード選手になったときがいちばんかな。トッププロになれたな、と。そのとき、ゴルフをするといって飛び出してから初めて、実家に帰ったんです。でも、プロゴルファーとしての扱いを受けたことは、一回もありませんでしたね」
レギュラーツアーには2000年まで参戦し、計4勝。その後は、シニアツアーでも活躍し、ギャラリーを沸かせた。思い出深い試合は、数知れない。
「負けた試合のほうが多いですね。1988年に、ジャンボ(尾崎将司プロ。ツアー94勝)さんと最終日最終組で回った日本オープンもそうです。ジャンボさんが最後のパットで何回も仕切り直したシーンが、印象深い場面としてテレビで何度も流されるじゃないですか。あのとき、僕も最終組だったんです。トミー(中嶋常幸プロ。ツアー48勝)と。あれを見たら、僕、細くてわからないですよ(笑)。スタイルが良くて、いまと全然違います。精悍な顔をしてました。体重が67㎏くらいしかなかった。緊張で、『83』を叩いたんです。あのころのあの2人といったら、もうスーパースター。やってやろうという気持ちが強すぎて空回りしちゃったんじゃないですか。でも、憧れでしたからね。ジャンボさんはとくに、同じ四国(徳島)出身。すっごくシャイで、いい人なんですよ。けっこう可愛がってもらいましたね。トミーにしても人格者ですし……」(文中敬称略)