日本プロゴルフ協会新会長の素顔
プロゴルファー、吉村金八【前編】
2022年3月、日本プロゴルフ協会の新たな会長に選出されたのが、プロゴルファーの吉村金八。名前をご存じの方も多いことだろう。1952年3月高知県生まれの70歳。彼はどのようにしてゴルフと出合い、現在に至ったのだろうか。全3回にわたり、これまでの履歴書を紐解きながら、その人となりに迫ってみよう。
「本名は“きんぱち”ではなく、“かねや”なんです」
話に入る前に、今回のインタビューの趣旨を伝えると、硬い表情が即座に緩んだ。「俺の個人情報、ダダ洩れじゃんね(笑)」
なんとなく想像していたとおり、冗談好きの人当たりの良い人物のようだ。
今年3月、日本プロゴルフ協会会長に就任したプロゴルファー、吉村金八。インパクトのあるその名前で、記憶に刻まれているゴルフファンも多いことだろう。ツアーでの思い出や今後の展望などを伺うよりも先に、まずは由来を聞かずにいられない。吉村も、これまで何度も質問されているのか、「これが、ふざけた話なんですよ」と、待っていたかのように誕生当時のエピソードを語りはじめた。
「“きんぱち”という読みはゴルフの登録名で、本名は、“かねや”です。よく八番目の子どもかと言われるんですけど、僕は長男。それに、つける予定だった漢字は金哉。志賀直哉の哉です。祖父が役場に届けに行ったんですが、後継ぎが生まれて本当にうれしかったんでしょうね。役場に行く途中でいろんなところに立ち寄っては酒を飲んでいたようで、実際に届出をしたのが何日も後。金の漢字は覚えていたけど、“や”のほうが出てこなかったらしく、右側のはらいのような一画だけが記憶にあったため、八の字にしてしまったようです」
吉村と両親は、なんと小学校入学まで本当の漢字を知らなかった。それまで、戸籍謄本などを必要とすることがなかったからだ。
「その後も身近な人は“かねや”と呼んでいましたが、だいたいの人は“きんぱち”だと思うものですから、いちいち説明するのも大変。それで、登録名を“きんぱち”にしたんです」
ちなみに、吉村がプロになった年と、武田鉄矢の主演で有名な「3年B組金八先生」が始まった年は、同じ1979年。ドラマからあやかって、登録名を“きんぱち”にしたわけではないと、吉村は念押しした。
「のちに武田さんが、僕の所属していたゴルフ場の近くでドラマの撮影があった際、わざわざ挨拶に来られたことがありました。僕は不在でしたが、『名前を使わせてもらっています』と。その後、何回もゴルフをしたり、食事をしたり、親しくさせていただいてます」
話を戻そう。高知県幡多郡小筑紫町(現・宿毛市)の、ほとんどの親族が漁師という家に生まれた吉村は、「やんちゃ」に育った。
「中学を出てからは、漁の手伝いをしたり、学校に行ったり行かなかったり。いろんなことをやりました。自分でも、よくわからんです(笑)。地元を離れ、兵庫県の高校に編入しようとしてみたり、建築士になりたいと言って東京に出たりもしました」
人生初のラウンドでハーフ「39」を記録
18歳で雑司ヶ谷(東京・豊島区)の親戚の家に転がり込み、工業高校に入学。そのかたわら、図面を描くアルバイトをしていたことが、ゴルフとの出合いに繋がった。「アルバイト先の会社に同じ工業高校を卒業した先輩がいて、『ゴルフをしていたほうが、この先、仕事にも役立つから。3カ月まじめに練習してこい』と言われて。それで、ハーフセットをもらって、四葉ゴルフという練習場(東京・板橋区)で一生懸命練習しました。まじめに。昔から、先輩の言うことは、ちゃんと守るんですよ」
もちろんお金はなかったが、生来の人懐っこい性格が功を奏したのだろう。その練習場でいつの間にか、ゴルフ部の大学生アルバイトのような立場を確保し、お金をかけずに練習できるようになった。練習場の人に、「あの人のお尻を見ながら打ちなさい」と言われれば、素直に見よう見まねでクラブを振りつづけた。
「それが、研修生時代の千葉晃(のちにプロ。早くからジュニア育成に尽力し、多数のプロを輩出)さんでした。きれいなスイングでしたよ。僕は最初から当たるわけがないですから、全部スライス。あとから千葉さんに、『お前か、俺の後ろで変なボールばかり打つのは』と怒られました(笑)」
3カ月の努力は、とてつもない成果となって表れた。久邇カントリークラブ(埼玉・飯能市)での人生初ラウンド。27ホールを、52、41、39のスコアで回ってみせた。
「アルバイト先の常務、部長、そしてゴルフをやれと言った先輩に連れていってもらいました。最初の9ホールを52で回ったとき、『すごいな』と言われましたが、次のハーフで41を出したら、もう誰も何も言わなくなりました(笑)。顔色が変わってましたね。最初の18ホールの93は、僕のキャリアでいちばん叩いた数です」
常務には、「明日からアルバイトには来なくていい」と告げられた。すなわち、プロゴルファーを目指せということだ。
「美女木(埼玉・戸田市)で練習場をやっている大きな地主さんに紹介状を書いておくから、明日からそこへ行きなさい、と。僕は将来役に立つからと言われてやっていただけなので、気持ちは複雑でしたけど、行きましたよ。3カ月前までゴルフに触れたこともないんですから、プロのこともまったくわかりませんでした。その後、本格的に始めてから、杉本(英世プロ。日本オープンなど優勝多数。アメリカツアーにも参戦)さんとか、河野(高明プロ。日本オープンなど優勝多数。マスターズにも複数回出場)さんとか、安田(春雄プロ。日本プロマッチプレーなど優勝多数)さんといった名前を知りましたね」(文中敬称略)